国際活動
留学体験レポート:LMU Munchen - 青木類
2024年12月27日公開
ミュンヘン大学皮膚科 青木 類
2015年11月からミュンヘン大学皮膚科に留学しています。
留学のきっかけ
大学院に入って以来、単純ヘルペスウイルス感染におけるマスト細胞とIL-33の役割に関する研究に取り組んできました。臨床を続けながら、毎年少しずつ進歩した結果をヨーロッパの研究皮膚科学会(ESDR)で発表し、その都度束の間とはいえ異国の空気を満喫しては日常に戻ってくる、そんなサイクルを繰り返すなか、私がいつも発表する自然免疫のセッションにいて、毎回素敵な(まさに答えを用意していた)質問をしてくださる先生がいました。当時ミュンヘン工科大学の皮膚科教授として着任されたばかりだったそのTilo Biedermann先生が、ある年マスト細胞の学会を主催するから発表しに来ませんかと誘ってくださったのが、留学を意識してミュンヘンを訪問するきっかけとなりました。
残念ながら私の留学の希望については、ラボも立ち上げたばかりで受け入れる余裕はないと断られたのですが、ミュンヘンに行くならミュンヘン大学のThomas Ruzicka先生にも挨拶をしておくようにと、先を読んで繋いでくださった島田眞路先生のお陰で、ミュンヘン大学に留学することになりました。
研究グループのボスとして長年指導していただいた川村龍吉先生からは、留学よりも結婚相手を探すのが先と反対されもしましたが、これまでの研究がひと段落しつつあったことと、医局の外に出てみたいという思いに後押しされ決断しました。
研究生活の変遷
Thomas Ruzicka教授(左から3番目)の病棟回診(2015年)。
右端が中野敏明先生。
留学当初は、朝の教授の病棟回診と昼の症例検討会にも参加していました。皮膚科の病床数としてドイツ最大と言われるだけあって症例豊富で、Ruzicka先生のフランクな人柄のためか様々な国の医師が病院見学に訪れましたが、研究しようという医師は少数でした。新たに自分のラボを持ったばかりの、若くて自信に溢れるMarkus Reinholz先生のもとで、HPVの皮膚悪性腫瘍や前癌病変への関与について調べることから始め、ラボに短期間研究をしに来る学生(日本とは違い、アルバイトとして給料をもらっています)の指導を任されることもありました。
軽井沢で開催された日独皮膚科学会に参加(2016年)。
右からRuzicka教授、友人Sinem Bagci、島田眞路教授、
左端がMarkus Reinholz先生、左から2番目が筆者。
客員研究員としての留学だったため、自力で資金を調達する必要がありましたが、奨学金の獲得は容易ではありませんでした。私と同時期に留学しながらみるみるうちにドイツ語をマスターし、EUの医師免許を取得したトルコ人の友人Sinem Bagciと協力し、学内の医師に研究を奨励する奨学金に共同研究者として申請し、ようやく資金を得ました。当時、Ruzicka先生らの国際共同治験の結果、アトピー性皮膚炎に対する抗IL-31受容体抗体の有効性が報告されたばかりで、その流れを汲んで、自己免疫疾患におけるIL-31の役割について調べました。
同時にこの資金から、税金がかからない最低限度の賃金を出してもらえることになりましたが、労働許可証の発行など煩雑な諸手続きに時間がかかり、実際に支給されるようになったのは一年以上も後のことでした。そのため、日本皮膚科学会の留学支援制度には大いに助けていただき感謝しております。
Prof. French・佐藤グループのメンバーと(2021年)。
右端がLars French教授、左から佐藤貴史先生、筆者。
7階のラボからアルプスを望む(2024年)。
2018年秋にはRuzicka教授が退官、チューリヒからLars French教授が就任され、経営状況の厳しい大学病院の立て直しのため、人員削減、組織の再編成が計画されました。
そして2020年3月、新型コロナのパンデミックの始まりとともに、チューリヒでFrench先生の右腕として活躍していた佐藤貴史先生が国境を越え、ミュンヘンにP I(研究主宰者)として移籍、ほぼ一年がかりで年代物のマシーンを一掃して必要な最新機器を取り揃え、研究環境の整備、改革を行いました。現在、その生まれ変わったラボで、Prof. French・佐藤グループの一員として、好中球性皮膚疾患におけるIL-1ファミリーサイトカインについてのプロジェクトを中心に研究を進めています。
ドイツでの暮らし
最初のアパート探しからビザの取得、大学内の事務手続きなど、生活基盤を一通り整えるにあたり、すでに留学されていた荒川明子先生、中野敏明先生には大変お世話になりました。無愛想な店員さんや外国人局の係員の冷たい対応、ドイツ語の壁など気が滅入る要素満載でしたが、母国語での手厚いサポートのおかげで、最小限のダメージで済みました。ドイツで逞しく生きる様々な分野の研究者仲間たちとの交流も励みになりました。週末にアルプスでハイキングをしたり、中世を再現したお祭りを見に行ったり、化石掘りに出かけたり、ドイツならではの楽しみ方を教えてくれたのも友人たちでした。
ミュンヘン郊外でのハイキング(2017年)。
後列右から2番目がRuzicka教授、
前列右端がSinem、右から3番目が筆者。
Ruzicka先生の課外活動は、アウトドアから絵画・音楽鑑賞まで幅広く、自ら湖水浴やスケート、バレエ観劇にも連れ出してくださったばかりか、夫になるひとまで紹介して頂く結果となりました。ある日、日本人のOpera singerが入院してくるから回診に来るようにと予告され、病室で紹介されたのが夫との出会いでした。
数年のつもりで始めた留学生活が長くなってしまったのは、研究環境が整い、ポスドクとして正式雇用してもらえるようになったことに加え、ドイツに生活の基盤がある新しい家族ができたことが影響しています。
残業もせず、年間30日の休暇をしっかり取る(取らなければいけない)ことによって、生活のクオリティが保障されているところは、この国で働くうえで魅力的な点と言えると思います。しかし何より悩まされたのは、書面が全てで融通が利かず、待たされる時間が長い“Bürokratie(官僚的形式主義)“と言われる役所や大学関係の事務手続き問題でした。
それに反して印象的だったのは、パンデミックの際に垣間見えた組織力の凄みです。普段の緩慢な役所対応からは想像もできない機敏さで細かい規則が作られ、それに従って病院、州、国全体が動いていく様子からは、日本には無い底知れぬパワーのようなものを感じました。
毎日決まった時間に、感染状況を伝えるロベルト・コッホ研究所のWieler所長の会見がテレビから流れ、日に日に声が枯れ疲労が濃くなっていく所長さんを気の毒に思いながらも、専門家の意見が尊重され、正しい知識をわかりやすく伝え、一本化して共有できる体制が危機的状況においていかに大事かということを教えられた思いでした。
感謝を込めて
ザルツブルクで行われたESDRで山梨大学のメンバーと再会(2017年)。
中央に島田教授と奥様、
右から小川陽一先生、川村龍吉教授、
左から2番目が木下真直先生、左端が筆者。
自己主張が不得手な私がドイツで研究生活を送れているのは、明るくポジティブで、誰にでもさりげない気遣いのできる熱意あるグループリーダーの佐藤先生と、Ruzicka先生、French先生、ラボの仲間たちなど多様性を受け入れる土壌のある国に暮らす方々のおかげです。
ミュンヘンで出会った方たちと、島田先生、川村先生はじめ留学に送り出してくださった山梨大学の諸先生方と、五島典先生をはじめとする共同研究者の先生方、留学中も支えてくださっている原田和俊先生、安藤典子先生、矢ヶ崎晶子先生、同期の小川陽一先生他、留学に際してご助言いただいた全ての方々に、この場をお借りして御礼申し上げます。